2011/3/18のmemo
2011年3月18日(金)
真鶴へ行く。
東京駅の8番線ホームで、東京新聞とnewsweekを購入した。
記事を読んでいたので、あまり外を見なかったが、一度だけまあるくて静かで、
真っ白い富士が見えた。夢のようだった。
海は凪いでいた。
三陸を襲った津波。ひとたび荒れれば情け容赦なく陸地を呑みこむ。
富士山だってそうだ。
地震列島、火山列島。
日本はいくつかのプレートの間で辛うじて浮いている島なのだ。
たまたま海上に突き出した、危うい島なのだった。
国土をつくったオオムナジノミコトは海底火山の神であり、列島にはいくつもマグマの磁場のつよいところがあって、ヨリマシ、物実、大きいものから小さいものまで祈りの場所になっている。
古い時代からくり返される地震や台風による崩落や大破が、欠損が、倒壊が、人びとの心に無常観を植え付けた。
それはやがて、はかなさや、もののあはれに想いを寄せる思想を生み、歌枕や余白や、枯山水にまで連なる負の美意識を鍛えて行った。
いつか流されしものの消息に、おもかげに、うつろいに、自身の見えないどこかを預け、何かを託すようになっていった。
切なさとともに、見えないものをさがそうとした。想像の負がそこにはあった。
「すべて見えているものは、見えないものに接している」。
これから迎える旧暦の雛祭りには、ひな流しの行事があるが、かつては五節供すべてに人形が飾られていたとも言う。みな人形(ひとがた)。形代(かたしろ)なのである。それに自分の汚れを移し、流すことで禊ぎをして、席をあけた。あけなければマレビトは、恵みは入ってくることが出来ないことは生の常識であった。
今回の余りに大きな欠損、そこには何がオトヅレルのだろうか。
それにしてもあまりに、あまりにも大きな欠損である。
今晩は静かだ。
二人も眠っている。
月は13夜。灯りが少ない都心で、皮肉にも大きくて美しい。
この地球の何が映っているか、よく見てみたい。
月は僕たちを映す鏡なのだ。
ずっと空にそうやってかかっていたのにね…。
